<2012年>

    「なぜ日本人が殺したのか、今なぜ改憲なのか」

                               マレーシアと広島をむすぶつどい

   日本軍が第二次大戦中にマレーシアで住民を虐殺した加害の歴史を知ろうと12月9日、広島市留学生会館で、「マレーシアと広島をむすぶつどい―廣島の加害をみつめて」が開かれた。
  「広島マスコミ九条の会」も加わる実行委員会の主催。「軍都廣島の歴史と被爆体験」と題して主催の下原隆資さんが開会を兼ねて報告。「廣島第五師団がマレーシアで中国系住民を殺した。南京虐殺もなかったという人がいるが許せない。歴史は直視しよう」と訴えた。
 琉球大名誉教授の高嶋伸欣さんが、旧日本軍による住民虐殺を、軍の公式記録を基に数字で検証。「なぜ日本人が殺したのか。今なぜ改憲なのか」と集いの位置づけを語った。
 かつて第11連隊で虐殺の直接指揮をした少尉の甥で、マレーシアの旅に参加した廿日市市在住の橋本和正さんが「廣島の連隊が大量の中国系住民を虐殺したことを知って悲しい。憲法を変えて戦争―という流れがあるが、許してはならない」と強調した。
 最後に現地で「虐殺を継承」しているリム・キムファトさんが「日本兵は赤ん坊まで銃剣で殺した。戦争でひどい目に遭ったのは一般市民だ。戦争被害者を生まないよう一緒に努力しよう」と、呼びかけた。         

                           ●12.12.10       

          マレーシアと広島をむすぶ

        12月9日 つどい「廣島の加害をみつめて」 

 来る12月9日、「九条の会・はつかいち」をはじめ「広島マスコミ九条の会」なども加わる実行委員会が主催して、「マレーシアと広島をむすぶつどい―廣島の加害をみつめて」が開かれる。 

 集会には日本軍の中国系住民虐殺の歴史継承に関わっているリム・キムファトさん(スンガイ・ルイ村の元村長)が来日して講演する。また、廣島歩兵第11連隊で虐殺の直接指揮をした少尉の甥、橋本和正さんからもお話を聞き、廣島の加害の歴史を学ぶ。 

 ■12月9日(日)午後2時~4時半 

 ■広島市留学生会館 

 ■参加費1000円(学生無料)             ●12.12.1                                                                                                                                                                                                

         広島・沖縄・福島をつなぐもの

          「憲法のつどい」で高橋哲哉さん講演 

 広島県9条の会ネットワークは11月3日、原爆資料館で「憲法のつどい」を開いた。

 東大教授の高橋哲哉さんが「広島・沖縄・福島をつなぐもの」と題して記念講演。高橋さんは、ある人々の利益が別の人々の犠牲の上にもたらされる犠牲のシステムで、日米安保体制のもと、沖縄にひずみが集中したと指摘。差別されている沖縄の怒りが基地は本土に持って帰ってくれという主張になった。
 

 また原発も犠牲を組み込んでいるとして、①膨大な犠牲が出る過酷事故②作業員の被曝労働。現在福島第一原発では一日3000人が労働③ウラン鉱石を採掘するときに被曝④放射性廃棄物の問題。プルトニウムを取り出すと高レベル放射性廃棄物が出る。最終処分が決められない―を挙げた。原発は生存権・幸福追求権に違反し、憲法違反の疑いが強いと強調した。 

 さらに高橋さんは「福島原発事故で責任を取って辞任した人はおらず、責任問題は棚上げにされている」として、戦争責任を追及せずに終わったことの繰り返しと語った。人災によって亡くなった人や健康障害など刑事責任を追及する福島原発告訴団が結成され、全国で告訴・告発を募っている動きを紹介。刑事責任の追及が民主主義の行方に影響を与えると訴えた。 

                          ●12.12.1                                                                                         

         脱原発連続市民講座がスタート

        第1、第3金曜日『アピール・ウォーク」も継続中

 東京電力福島第1原発の事故から、まもなく1年9か月。事故以来、全国各地で多くの市民が「原発なくせ」「再稼働反対」の声をあげ行動してきた。被爆地広島でも、これまで活動してきた反原発グループに加え、いくつかの市民グループが新しく生まれ、脱原発の輪が広がっている。 

 11月11日、東京では10万人が国会前や官邸前に集まり、「即時原発ゼロ」を訴えた。この動きに呼応し、広島でも約300人の市民が原爆ドーム前に集まり、中国電力本社前に向けてデモをした。呼びかけたのは「さよなら原発ヒロシマの会」。今年2月、弁護士や医師、詩人、宗教者など22人が呼びかけて発足した。20数人のコーラスによる歌声で始まり、詩人で医師の丸屋博さんが「核兵器も原発もなくす。その希望こそ福島復興の免疫力」と挨拶。若者代表は「さよなら原発青年学生の会(仮称)」立ち上げへの取り組みを語った。 

 デモ行進は約1時間。中電本社では建物を一周、「島根原発建設やめろ」「上関原発計画撤回」と訴えた。 

 同会は10月から、第1・第3金曜のデモ(アピール・ウォーク)も実施。午後6時に広島市役所東の国泰寺公園に集合、中電前を通り元安橋までを歩く。月1回の「脱原発連続市民講座」も11月30日からスタートそている。詳細は同会HP http://zeronpphiroshima.daa.jp/index.html 

                           ●12.12.1                                                           

          平岡代表に感謝の夕べ 開く

  「広島マスコミ九条の会」の代表を退任された平岡敬さんに感謝する会は9月28日に会員を中心に35人が出席して開かれた。 

 開会の挨拶で、太田武男事務局長は、05年の結成総会後8年間の平岡さんの精力的な活動を振り返った。主な講演も20回を数え、活動は大阪、岡山、島根にまで及んだ。また、弁護士や教職員九条の会など分野別でも実に広範囲にわたったことが紹介され、県内九条の会の発展にも大きく寄与されたと述べた。平岡さんが「諸悪の根源は安保条約であり、そこを踏まえて運動をしなければならない」と言われてきたが、9条が極めて危険な段階にあるだけに、平岡さんにはこれからも顧問としてご指導願いたい―と挨拶した。 

 星加英一さんの乾杯の音頭に次いで、10人から昔話を含めて、平岡さんへ慰労と今後への期待を込めたメッセージがおくられた。

 会の最後に、平岡さんがお礼に立ち、要旨次のように話した。 

 「教育で言行一致ということが絶えず言われ、そのことが常に頭にあった。間もなく85歳になるが、組織というものは新しい血が必要だ。今の世の中を見ると、かなり右傾化して国民感情がそれに流されていくのではないかと思うが、マスコミがどれだけ踏ん張れるか、いちばん問われている。特に、3・11以後の状況を見るとその感を強くする。自分が現場にいたらどうか、勇気があるか、闘っていけるか、絶えず思うが、そのときの原点はあの戦後の廃墟だ。多くの人が悶え苦しんで死んでいった。その人達の思いを受け継ぐと言いながら実は受け継いでいないのではないか。平和の問題、9条の問題について覚悟がないのに口にされていることを痛感する。九条の会活動は最後の仕事と思いやってきた。代表は下りたが、これから1メンバーとして力を尽くしたい」。

                             ●12.12.1

           JCJ広島が「不戦のつどい」

 日米安保条約から60年、沖縄返還から40年の節目の年-。日本ジャーナリスト会議(JCJ)広島支部は9月2日、「米軍基地はいらない-今、メディアに求められるもの」をテーマに「不戦のつどい」を広島市中区の原爆資料館で開き、約100人が参加した。

 米軍普天間基地のある沖縄・宜野湾市の伊波洋一前市長(写真)が「復帰40年の沖縄から問う 日米安保の限界と今後の展望」と題して講演。「日米安保をめぐっては、日本政府は常にアメリカ政府に追随するだけ」、「日米同盟深化の本当の目的は、中国との戦争の準備であり日本を前線基地にするもの」と批判した。大手メディアは日米安保がタブーなっていると分析、事実に基づく報道をと呼びかけた。

 岩国市の久米慶典・元山口県議(岩国平和委員会副会長)は、「岩国基地は日米同盟の補給のリンチピン(死活的に重要な基地)として位置づけられている」とし、普天間基地への配備の地ならしで陸揚げを強行されたオスプレイについて、事故原因を人的ミスとした政府の調査を「アメリカの言い分に追随しただけだ」と明言。米側が公表している「環境レビュー」では、低空飛行や夜間訓練も実施すると明記されており、広島の上空を飛ぶ可能性もあると指摘した。
                             ●12.9.6

  伊波前宜野湾市長ら迎え、60年目の「日米安保」を問う

  日本ジャーナリスト会議(JCJ)広島支部は9月2日(日)午後1時30分から、平和記念資料館地下会議室で「2012不戦のつどい」を開く。タイトルは「米軍基地は要らない―今、メディアに求められている役割は?」。

 日米安保条約発効から60年、沖縄の本土復帰から40年の今年は、オスプレイ配備など緊迫する基地問題について、沖縄と岩国から講師を迎えて話を聞く。 

  【2012 JCJ広島 不戦のつどい】 

■9月2日(日)13:30~17:00 広島平和記念資料館(東館地下)会議室 (1)

■講演:伊波洋一さん(前宜野湾市長) 

     「復帰40年の沖縄から問う 日米安保の限界と今後の展望」 

■報告:久米慶典さん(岩国平和委員会副会長、元山口県議) 

   「オスプレイ配備強行は何を意味するか―岩国からの報告」 

■参加費500円(資料代)

                            ●12.8.20

         オスプレイ配備反対緊急岩国集会

 「欠陥機オスプレイは岩国にも沖縄にもいらない」-配備反対緊急岩国集会が7月22日、岩国市役所前の広場で行われ1100人が参加、オスプレイの写真に赤く×印のカードを一斉に掲げて配備反対を表した。 

 吉岡光則実行委員長(住民投票を力にする会)が「オスプレイは欠陥機、オスプレイの陸揚げが強行されても永久に飛べないようにしよう」とあいさつ。沖縄からは高江でオスプレイパッド建設に反対し座り込みを続ける住民の会の代表らが連帯してたたかおうと報告。地元の岩国からは市民団体、大学生、米軍機による低空飛行訓練の騒音被害などで苦しむ中国・四国地方の代表らが次々マイクを握り、「オスプレイ配備反対の一点で共同し、米国に持ち帰らせるまで闘おう」と訴えた。 

 集会後、岩国駅までデモ行進。沿道では市民が手を振り、「頑張って」の声援もあり、暑い日でしたがオスプレイ配備反対の決意を新たにした。 

                             ●12.7.28

     「広島マスコミ九条の会」7周年のつどい

 「メディア不信の中で-原発・安保・憲法を考える」をテーマに7月8日、「広島マスコミ九条の会」結成7周年記念集会が広島市中区の法華クラブで開かれ、56人が参加した。平岡敬代表が「国民の信頼を取り戻すために、いま私たちに何が必要か一緒に考えたい」とあいさつ。「世界」前編集長の岡本厚さんが集会テーマで記念講演し、新聞労連副委員長の田中伸武さんが「何やってるんだ 新聞労連」と題して自戒を込めた現場からの報告をした。  

 以下は岡本・田中両氏の講演・報告と質疑の一部速報版。 

 <岡本厚さんの講演> 

  私たちは今、福島原発事故という「静かなる、長い非常事態」の中で生きている。メディアは何事もなかったかのように『原発の再稼働』を伝え、政治は政争を繰り返している。政治の弱さとメディアの弱さが一体で進む非常事態とみる。原発報道では、重要なことが抜けたり、意図的に焦点をずらしている。変化が求められる時代に、民衆はマスコミ報道が信じられず、自ら発信して結集を呼びかけ行動に立ちあがっている。民衆が、政治やメディアを乗り越える時代になっているようだ。 

 沖縄は爆発寸前だ。オスプレイ配備反対だけではない。積み重ねられた40年がある。根源は日米安保にある。冷戦時代と違って米国は衰退しているのに日本政治は周辺諸国との真の和解ができないで、日米関係でしか考えられなくなっている。メディアも「平和構築の道」を考える時なのに、それを放棄している。ジャーナリズムの復活は簡単ではない。しかし、フリージャーナリストの活動に新しい芽がみられる。「自由で自立した精神」を持つこと、改めて今、ジャーナリストに求められることだ。 

  <田中伸武さんの報告> 

「大規模津波が来ても大丈夫」と防波堤の完成記事を書いた福島民友新聞の若い記者
が、気になって「堤防を見に行く」と出たまま姿を消し、1ヵ月後に遺体で発見された。原発取材に当たって様々な意見が出た。記者の命を守るということで「20㌔内に入るな」との経営からの指示に、労働組合としても同調した。多くの批判も出た。どう考えるべきか? 

 「原発再稼働に反対」を叫ぶ官邸包囲の民衆行動を「新聞はなぜ書かないのか」と新聞労連に問い合わせがある。記者に確固とした考えがあるわけではないが、世論は気にしている。批判の声を新聞社に寄せてほしい。逆に「よい記事」には評価も欲しい。 

 

 質疑では、田中さんの「20㌔内には入るな」の報告をめぐって、「ジャーナリストは命の危険と隣り合わせの職業。報道現場や弾圧で死んだ記者は多い。真実を追う気概と報道を守れの世論や対策が同時に論じられるべきだ」などの意見が出た。 

 講演と報告の概要は、「広島マスコミ九条の会」のニュース(会報)、日本ジャーナリスト会議(JCJ)広島支部の季刊誌に近く掲載される予定。 

                           ●12.7.10

        再稼動反対! なくせ原発、核兵器

 決めてはいけないことを決める! 野田政権は6月16日、原発の安全性も国民の世論も無視して大飯原発の再稼動を決め、7月5日発電・送電を始めました。国会事故調査委員会は5日、福島第1原発は「明らかに人災」と明確に判断し、政府や東京電力を批判した。 

 官邸包囲デモは週をおうごとに大きくなり、全国に広がり始めています。今こそ声をあげましょう! デモに参加しましょう! 今からでも遅くはありません。私たちは微力ですが、無力ではありません。 

                                ●12.7.7

       オスプレイは岩国にも沖縄にもいらない 

 墜落事故、死亡事故が続く欠陥機 オスプレイ! 野田政権はアメリカの要求に従順に従いオスプレイの日本への配備を受け入れようとしています。森本敏防衛相は7月1日、沖縄と岩国を訪れ、オスプレイの配備を説明しましたが、山口県知事も岩国市長も「安全性に不安」と強く拒否しました。仲井間沖縄県知事はオスプレイ配備を強行すれば「全基地即時閉鎖という動きにいかざるを得なくなる」と強く反対の姿勢を表明した。 

 オスプレイは岩国にも沖縄にもいりません。配備反対の声を大きくしていきましょう。

                               ●12.7.7
 

         東広島九条の会 5周年の集い

 東広島市の「東広島九条の会」(大森正信代表世話人)は6月23日、市中央生涯学習センターで「結成5周年の集い」を開き、12人が参加。広島県9条の会ネットワーク事務局長で弁護士の石口俊一さんが「改憲ラッシュ? 九条の会の初心から」と題して講演した。石口さんは「九条守れ」の一点で若い世代とのつながりを広げようと呼びかけた。 

 会の世話人で広島大准教授の佐々木宏さんは、米軍岩国基地の見学や福島第1原発事故の避難者との座談会などに取り組んだ1年間の活動について報告した。 

 参加者からは、「原発反対の運動は急速に広がりを見せているのに、9条の会の広がりが出てこない。9条も原発も命にかかわる憲法の問題なのだから、幅広くいろいろなところとかかわりながら運動をすすめていけたら」との感想があった。 

                              ●12.7.2

      佐伯区「九条の会」7周年のつどい開催 

 広島市佐伯区「九条の会」は6月2日、佐伯区民文化センターで「結成7周年のつどい」を開き、約20人が参加。井上正信弁護士が「秘密保全法と憲法、そして9条」と題して記念講演した。 

 井上弁護士は、秘密保全法制で何が秘密の対象とされるかも秘密にされると解説。「同法は戦争準備の実態を隠す。戦争の出来る国づくりへの一環であり、九条を守る運動は、反対運動に取り組もう」と呼びかけた。 

                               ●12.6.19

     生協ひろしま「9条を考える会」第6回総会

 2007年に発足した「生協ひろしま平和憲法・9条を考える会」は第6回総会を4月28日、広島ロードビルで40人が参加して開催、県9条の会ネットワークの石口俊一事務局長が「9条の会のパワーアップを!―改憲の動きに抗して」と題して講演した。秘密保全法の問題点を含め憲法「改正」を巡る危険な情勢を学習した後、500名の会員達成を目指すなど今後1年間の方針を確認して総会を終えた。 

 翌29日には「九条の会・はつかいち」の憲法講演会(「主権者として生きる」)が日本基督教団廿日市教会で開かれ、60人が参加、石口事務局長が連続講演した。 

<石口さん講演要旨> 

 まずは改憲を巡る動き。安倍政権以後は、あからさまな明文改憲論は小休止状態だったが、昨秋から民主党政権下で憲法審査会が動き始めた。ここに来て橋下「維新の会」をはじめ「たちあがれ日本」や自由民主党などが憲法大綱案、憲法改正草案など次々に発表、「天皇元首化」「国防軍・自衛軍」、国旗・国歌の明記など打ち出している。マスコミでは読売に続き産経も改憲試案作りへ動いているが、読売新聞の憲法世論調査(3月19日)では「9条を守る」は52%で依然過半数を占めている。 

 東日本大震災救援活動もあってか内閣府世論調査(3月10日発表)では「自衛隊」「米軍」の印象が高い。余波を買ってか先の北朝鮮「ミサイル」騒ぎでは「動的防衛力」「南西諸島展開」の予行演習よろしく自衛隊の地対空誘導弾パトリオットを宮古島などに配備、テレビで大々的に放映した。政府は武器輸出3原則の大幅緩和を表明し、今年4月には日英で武器・防衛装備品の共同開発も合意した。 

 秘密保全法案の登場も見逃せない動きだ。かつての日本がなぜ戦争にストップかけられなかったか?国民を4つの枠でじわじわ狭めていった。1つは「臣民教育」、2つは情報統制「情報の一元化」、3つは「弾圧立法」、そして拷問など「暴力」だったという。 

 様々な情報を国民に隠す秘密保全法は、戦前の軍機保護法、国防保安法、治安維持法に通じる危険な法律だ。 

                              ●12.6.7

         県9条ネットが三次で初の交流会

          原発、健康福祉などとの課題結合を議論 

  広島県9条の会ネットワークは5月20日、三次市の三次コミュニティセンターで「県ネット交流会in県北」を開いた。初の県北での交流会には、地元三次のほか広島、呉、三原、府中、庄原などから32人が集まった。広島関係の九条の会からの参加者はマイクロバスで三次へ。到着後、九条の会・県北の方の案内で、三次インターの進入路に設置された「憲法九条」の大看板を「見学」、続いて県北の九条の会がしばしば集会・イベントを開いている市内三次町の「卑弥呼蔵(ひみこぐら)」を訪問。かつて酒造会社の酒蔵だったという建物などを見学し、昼食をとった。 

 午後1時から始まった交流会議では、初めに石口俊一事務局長が「憲法をめぐる状況」についてミニ講演。野田政権成立以降民主、自民がともに動きを強め、3・11震災後は「国家緊急権」なるものを持ち出し、「戒厳令」的な権限行使を狙うほか、憲法審査会の開催、改憲案の作成・公表など、改悪への動きが加速していることに注意を促した。 

 この後、各九条の会が活動を報告。「九条」と、原発や暮らしの問題など「九条以外の条項」に関連する取り組みを、どう実践していくかなど熱い議論が交わされた。
   「県ネットの交流会」は、活動の中心が広島市近辺に偏りがちになることを避けるため、昨年尾道で開いたのに続いて、今年は三次で開いた。 

                            ●12.5.20

           5・6 さよなら原発のつどい

 「さよなら原発のつどい」が5月6日、「震災がれき」の広域処理をテーマに広島市中区の原爆記念資料館会議室で開かれ、会場に入り切れないほどの人が参加しました。前日の「こどもに日」に北海道の泊原発3号機が定期点検のため停止、国内の全原発が停止するなかでの熱気あふれる集会となりました。 

 第1部では、「さよなら原発ヒロシマの会」事務局長の滝史郎さんと運営委員の木原省治さんが報告。滝さんは「再稼働は不要-原発ゼロでも電力は大丈夫」と電力会社や政府の電力不足のごまかしを図表など使って解説。木原さんは再稼働を許すさないこれからの運動のポイントを、事故への保障、最終処分・廃炉への費用を計算すると原発がコスト的に最も高くつくことを広く知らせていくことが重要だと訴えました。 

 第2部は「震災がれきの広域処理とは?」をテーマにパネルディスカッション。共同代表のアーサー・ビナードさんは「がれき処理」というが、厳密には放射能に汚染された震災がれき処理問題であり、がれき処理を受け入れさせるために「国民性が問われる」とか「待ったなし」だと政府のいうことをマスコミは報道するが、原発ゼロを求める市民運動を分断させるキャンペーンではないかと指摘しました。 

 医師の青木克明さんは香川県豊島の産業廃棄物問題での現地調査の経験をまじえながら、「専門施設をつくって地元で処理するのが当然で、放射線を含んだものは原則受け入れるべきではない」と、地方自治体に押しつける政府の広域処理政策を批判しました。 

 会場からは、福島から避難してきた元女性教師が「がれきを見るのはつらいが、誰に聞いても遠くに持って行って処理してくれという話は聞かない」「子供を守れないと避難してきた。無責任と思うし非難もされたが、そのぐらい住めない所だということを知ってほしい」と話し、マスコミに本当のことを伝えてほしいと訴えました。 

 集会では、湯崎英彦広島県知事に原発再稼働に反対を表明するよう求める決議を採択、7日、アーサー・ビナードさんら4人の共同代表などが知事に要請、5月21日までに回答するよう求めました。 

                            ●12.5.10

     「マイライフ マイ憲法」 2012年憲法集会

 5月3日の憲法記念日、2012年広島憲法集会が広島県民文化センターで開かれ、約600人が参加した。実行委員長の石口俊一弁護士は「自民、みんなの党、大阪維新の会などが改正草案を次々出す厳しい状況を皆さんと一緒に切り開いていきたい」とあいさつ。憲法集会は1994年に開かれて以来19回続いている。 

  第1部は法政大学の田中優子教授が「未来のための江戸学」と題して講演した。田中さんは、鎖国の江戸時代は国内で必要なものは国内でまかなう自立した国で、外国との戦争もせず、都市も農村も100パーセント循環社会だった。現在の日本には憲法や基本的人権など江戸時代になかったものがある。平和で自立した日本を実現していくために足元を見つめ直していく必要がある、と語った。 

  第2部では、福島原発事故を契機に権力との癒着や真実の報道をしていないと批判が強まっているマスコミを風刺、国民の知る権利やマスコミのあり方を考える「ダ・メディア大国ニッポン~江戸からヤジキタが来た~」のミュージカルが上演され、子供から中高年までの出演者の熱演に大きな拍手が送られた。 

                              ●12.5.10

      「3・11追悼 さよなら原発のつどい」開く

 福島原発事故から1年の3月11日、広島市中区の原爆資料館で「3・11追悼 さよなら原発のつどい」が開かれ400人が参加。共同代表の三浦精子さんが「子どもが戸外で遊べなくなった。子どもたちの平和に生きる権利を大人が奪ってしまった。原発は全面廃止するしかない。それが私たち大人の子どもへのわび状です」と話した。

 米国の反原発集会に参加している木原省治さんからはビデオメッセージが届き「今年を日本のエネルギー政策を変える勝負の年に―。財界を中心にする原発再稼働、復活の動きを改めさせるために『さよなら原発』の声を大きく…」との訴えが紹介された。 

 報告は共同代表の佐々木猛也さん。「日本は唯一の被爆国でありながら、核を擁護する国。原爆症認定訴訟で国は内部被曝を認めていない」と指摘、核兵器と原発の存続と拡散は人道的にも環境的にも国際社会の持続可能な発展の法則に反する―と、ヒロシマ・ナガサキのデータと福島汚染実態を示して「原発の危険」を訴えた。 

 同じころ、原爆ドーム前で、「3・11 ヒロシマ発 市民の集会 内部被曝はいやだ!原発はハイロ!」の集いがあり、午後1時から中央公園で「さようなら原発1000万人アクションinヒロシマ集会」に合流した。中央集会は呼びかけ人方式で2000人に膨れ、最近にない大きな集会となった。 

 被災死者への黙とうの後、呼びかけ人の一人、森滝春子さんが「日本でまた核の被害者が生まれた。反省しなくてはいけない。核と人類は共存できないことをかみしめ、核否定の声と行動を強めよう」と呼びかけた。「広島マスコミ9条の会」代表でもある呼びかけ人の平岡敬さんからのメッセージも紹介された。 

 工事が一時中断している上関原発について、祝島からは山根善夫さんが「原発に頼らない地域を目指し循環型農業やエネルギー自給100%へ取り組みをしている」と報告。原発をとめる!その思いで命がけでやっていく決意を表明した。 

 福島の報告もあった。家族が広島に避難している等々力隆広さんが、「被災地の震災は終わっていない。いまも進行中です。放射能は山や海に汚し続けている。低線量長期被曝は、子どもの健康を心配する親の不安が限界を超えている」と実態を訴えた。 

 集会の後、参加者は「原発はいらない」「ノーモアフクシマ」「ノーモアヒバクシャ」と叫びながら市内中心部を稲荷橋手前までパレードした。

                              ●12.4.26

         三次市に「憲法9条守れ」の大看板

 憲法九条への思いをいつも心に―。そんな願いを込めた大看板が三次市に3月11日、誕生した。県北の「九条の会」4団体の取り組みで、会員らが経費約11万円をカンパで集め、中国道三次インター近くの国道沿いに設置した。 

 看板は縦1・2㍍、横2・4㍍、高さ4㍍、「世界の宝、憲法九条」と大書され、ドライバーらの目を引いている。文字は県北退職教職員「九条の会」会員の児玉祥功さんの書。味のある書体だが、児玉さんは「集会や看板などのロゴとして自由に活用を…」と著作権は言わないとのこと。(喜)                                                                      ●12.4.26

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 県北九条の会により三次市の国道沿いに設置された大看板     

(2012.3.11)